『現状維持は退歩なり』この言葉は、学生の受験勉強に限らず、その他現在の日常生活、将来にも通ずる大切なメッセージだと思う。
『現状維持は退歩なり』という言葉は、多少表現の違いはあれど、古今東西様々な時代や偉人たちによって現代まで伝えられてきた。例えば福沢諭吉、松下幸之助、ウォルト・ディズニー、ゲーテ、ナイチンゲールなど彼ら/彼女らが言い残してきた言葉である。
今日の日本社会の原理原則は資本主義に基づく競争社会であり、大なり小なり様々な場面で他人との競争が求められる。特に、大学受験や高校受験などはその最たる例の一つであるが、その競争に積極的に自らも突入する場合、結果的に他人よりも高いレベルで学力を向上させられれば“良い学校”に進学し、そうでなければそれ相応の学校に進むことになる。そして、その競争は学校教育を卒業した後でも続き、条件によってはこれまでの生活では経験したことがないような苛烈な競争に身を投じることもある。
ゆえに、この競争社会でもしあなたが『勝ちたい』と思うのであれば、その場に立ちすくむことはナンセンスである。競争が前提であるから、周囲は前進を続けるわけで、それはつまり自分が立ち止まることは相対的に後退していることと同値である。つまり、『現状維持は退歩』となるのである。
ここで一度競争に対する見方を少し変えてみるが、競争とは適切に利用すれば非常に大きなメリットがある。ある競争に参加することで、これまでは自分自身の趣味のレベルであったものが、競争を経験することで自分自身のレベルが高まるだけでなく、より多くの人から高い評価をしてもらえるチャンスにもなる。例えば、ピアノを例にしても、自分の趣味で弾く分には鍵盤を無秩序に叩いて音を発する装置として自身が楽しむことはできるが、発表会やコンクールなど(競争)を意識しその技術を高めることで、これまで“音を発する装置”だったものが“音楽を奏でる装置”に変わり、その音楽を通して自己実現や他人を幸せにもできるのだ。こういったプロセスを経て、人は大きく成長し、まさに最初とは“別人”に変貌する。
大学受験や高校受験は多くの先進国で存在する社会の仕組みである。文明化した社会が半ば強制的に自分をレベルアップするために用意してくれた社会の仕組みと考えることもできる。大学受験、高校受験だけにとどまらず、スポーツや芸術などのどのような分野でも、『現状維持は退歩なり』の考えを持ち、日々邁進してほしい。